シンプル:基本、質素。真面目な、誠実な。気取らない、誠実である。
シームレス:調和されている、滑らかである。
シンボリック:象徴的である。
といったところでしょうか。シームレスに含まれる”調和”というのが包括的な役割かなと思います、また、それ故に”象徴”という言葉も、自分的にはスッと入ってきています。
分かりやすく、そして勿論宣伝として(笑)、具体例を挙げると、花が好きな人のためにあるフローリストケースには、ブランドロゴが付いていません。刻印や箔押し、目立つ部品や特殊なステッチを施すことも出来ると思いますが、メーカー側としては「私がつくりました!」と主張したいとしても、お客様は「別にどうでもいいこと」なんだと思います。
大切なことは、好きなお花や植物との時間を、より楽しいものにする(手助けをする)こと、それがプロダクトやブランドの価値だと思います。少々真面目過ぎました。
もうひとつ、基本という意味にも注目したいのですが、僕的な言い換えをすると、”自然”、”ナチュラル”という意味もあるのかなと思います。そうすると、自分にとっての自然ってなんなんだろう?という疑問にも遭遇してしまうわけで。これが今回のブログの発端にもなっています。
自分で言うのはとても恥ずかしいですが、結構気を張って生きてきた、正確には仕事をしてきたかなぁと思います。スピード(処理能力)、アジリティ(敏捷性、臨機応変)、アキュレシー(正確性)などなど、意識していることを書き出すとギラギラしていて嫌になりました(笑)無理をしているとは言いませんが、頑張れ!!感がすごい。。。こうすると、自然とヒト・モノ・コトに囲まれる、溢れる生活になっていきます。
(またまた自分で言うのは烏滸がましいですが)こういう意識とか努力は、決して無駄じゃないとも思っています。が!もっと大切だと思うのは、そんな中だからこそ適度に休みを取ってあげようということですし、次の活力になる様な時間や空間を自分で作っておく、知っておくということです。
そんなオフラインな時間、空間として、下手でも自炊したり、植物の世話をしたり、何気ない日々の営みがいまの僕にとっては嬉しかったりします。more, more, more と前に進むだけじゃなくて、そのためにも丁寧に暮らすことが良いんじゃないか、自然なんじゃないかなと思います。バランス感覚は忘れないでおきたい。
もう少し身近なところでも該当すると思う事があって、スポーツテイストのウェアとかは気になります。一昔前だったら「部活帰り?」とか「パジャマ?」と言われてしまいそう(と自分は同級生の顔を思い浮かべてしまう。30歳前後の方は共感してくれるんじゃないかな)な服を街中でも良く見かける様になっていますし、実際僕も愛用しています。紐のないシューズとかも同じイメージかな。
この傾向は、TPOの概念が大分変わってきた、柔軟になってきたから起こっていることだと僕は思います。他人の目を気にしなくてもよくなってきている?から仕事用のジャケットやワークパンツでもゆるい感じの素材やデザインが増えてますよね。(話があちこちに飛びますが、都心の人が自転車で通勤するとかも従来はイメージ出来なかったかなと。多様なライフスタイルが認められる様になってきています。)「フォーマルとは・・・」とか「オンとオフ」という感じの区切りが小さくなっている様に感じます。
あとは、建築とかもオープンスペースが多く取り入れられる様になっていますし、きっちり分けるよりは、ゆるく移行する感じが良いですよね。先ほどのシンプル・ナチュラルの話から言っても、区切りや役割をつくることは合理化のための手段だと思うので、その過程を経てちょうど良いバランスを模索してきて、色々な分野でこういった選択をされる人が増えてきているのではないでしょうか。
足し算で主張を強めていくよりも、引き算でメッセージをひとつに絞る方が、個人的には難しく感じています。でも、それゆえにブレない。目指すところはいつもここです。モノづくりだけのことではなくて、普段のコミュニケーションとかも。全然出来ていない、反省。
なぜそこで立ち止まるかというと、シンプル(ナチュラル)の概念が人によって様々、多様であるということ。同じく、シームレスの許容範囲も人によって異なるから。それを理解して受け入れる自分の土壌がないと、相手に共感してもらえるモノゴトも分かりません。
価値を提供する側であると同時に、いち生活者として思うのは、「こだわるもの」と「こだわらないもの」の二極化はドンドン進むだろうなということです。合理化、大量生産の流れは加速するだろうし、人やモノ、さらには文化・習慣、伴った価値観まで国境を越えて(シームレスというよりボーダレスに)価値の交換が行われる時代になってきていると思います。
簡単にいってしまえば、安価であってもそれなりにクォリティの担保されたモノやサービスはどんどん増えていくのではないでしょうか。その中で、こだわって本当に求められる良いモノってなんだろう、大切にされるものって何だろうと考え続けることが、これからの仕事であったり社会的役目・責任だと思います。
僕たちの様な本当に小さな存在は、いいね!と思われるモノや価値を提供していく、そう思って頂けるようにしっかりと伝えていかないといけない。これが本当に大切だと感じます。また、その努力を絶えず継続していくこと、そのための体制や仕組みを整える事。
分かりやすく一言で説明できるくらい物事を咀嚼していること、一目で良さが理解できる、伝わるモノゴトを創り上げることが大切だと思います。
それがシンボリックという言葉に繋がっています。
GAARU がステッキやフローリストケースを作った様に、モノづくり分野でなくても、老若男女問わず自分を表現出来る時代にドンドンなっていくと思います。いまは小学生が英語やプログラミングを学んでいるんですから、そう遠くはない未来です。そのためのツールやデバイスもどんどん出てくるでしょう。
世の中がダイナミックに変わっていくならば、その時に、GAARU がどのように社会に貢献するのか。これを考えるのが僕の役目ではないだろうか。そこでまず思いついた3つのSを書き出してみました。
「いや、こうじゃない?」とか、アドバイスあればぜひ教えてください。長文、失礼いたしました。