言い換えると「知らないことを知れる」、そんな機会にGAARUが始まってからは恵まれていると思います。例えば、自分の祖父母以外でご高齢の方とコミュニケーションを取ることなんてこれまで滅多にありませんでしたし、その方々に関して深く考え込むことなど決してなかったです。
でも今は、例えば開発調査でご一緒させて頂いた方々は元々は赤の他人だったわけですが、素直に「長く元気でいてほしい」と思います。時々話してくださる中学時代の部活動、結婚前の恋愛話とかあるのですが、「ホンマですか!?」と聞き返したくなるほど展開がドラマチックだったりします。(もしかして、からかわれてるんですかね?)時代背景や、当時の地域の様子などが垣間見えて、自分では決して体験することが出来ない話を聞けることはとても楽しく、勉強になります。
GAARUに興味を持って下さったということが嬉しい。一方でその感情以上に考える事が多くあるのですが、若い人であっても杖・ステッキを必要とされる方もいらっしゃいます。病気や事故、理由は様々です。ぎっくり腰や手術後など一時的に支えが必要になる方もいらっしゃいます。
そうした話を聞かせて頂く中、最近よく感じるのは「自分や家族にだって、明日にでもその変化が起こりうるのかもしれない」ということです。みんな何か特別なことがあった、していたわけではない。
これはステッキだけの話ではなく、上記の様な人生の思い出話だってそうです。そう思える様になった理由はうまく説明できませんが、目の前に居る他人の気持ちにようやく真剣に向き合えるようになったのかなと自分の変化を感じています。出会いが人を変えるということでしょうか。
自分と似た人と、同じ場所でのんびり暮らす。とても居心地が良いです。いろいろな問題も阿吽の呼吸で解決してしまえる部分も多いでしょう。もしくは、解決のためのシステム・仕組みが出来上がっているというのが歴史のある会社だったりします。対して、年齢や環境の異なる人と協働するという事は、スムースにいかないことが多く、考え方であったり、色々と前提が違います。だから、ゼロから信頼関係を気付いていかなければいけません。スタートの段階では非効率なことも正直多いです。
でも、ここまで経験したことを振り返ると、そこを乗り越えた時の達成感やアウトプットは、それまでのものよりも遥かに大きく、喜びも多かった。そしてその積み重ね、継続があって新しいチャンスが生まれている、与えられている様に思います。本当小さなことからコツコツやること、相手のことを真剣に考えることは大切だと思うし、どうなるか分からないということが逆にやる気につながっていく感覚が出来てきました。
自分の長所もそうですが、欠点も明確に分かる様になりました(せっかちです。見た目と違って時に神経質です。オンオフが激しいので奥村にはびっくりされます。ごめんなさい)。「あー、しまった」が積み重なってますから、多少は前進していると信じたい(笑)
「悪い癖が出そうだな」と自分で認識し始めたことが、他人の話を聞けるようになった理由かなとも思います。(「理由はうまく説明できない」と言っておきながらですが)良い力の抜き方が分かってきたのかもしれませんね。
自分自身が成長していること、すぐにはうまくいかなくとも試行錯誤できていること。そういったことを感じられる環境、支えて下さる方々には本当に感謝ですし、心底楽しくやらせて頂いています。これがタイトルの理由です。
ひとつでも、一人でもいいから、いつもと違う何かを求めて動いてみれば良いんだと思います、何か変わるかもしれません。思い立ったら行動です。振り返って来た道を見てみると、グネグネグネグネしていますが、着実に前に進んでいることを感じる今日この頃でした。